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コンピュータ・メディア工学科 教育用計算機システム
の位置づけと今後

山梨大学コンピュータ・メディア工学科
美濃 英俊
mino@csci.yamanashi.ac.jp
http://www.csci.yamanashi.ac.jp/


はじめに

山梨大学に学ぶ多くの学生にとって、大学のコンピュータ環境と言えば、 総合情報処理センター(以下「センター」と呼ぶ)が用意している環境 であろう。大小4つの教室に 約200台の端末が設置されている他、図書館、情報メディア館などの パブリックスペースに自由利用端末が約50台設置されている。

しかし、工学部コンピュータ・メディア工学科の学生だけは、この点で 例外的な存在である。もちろん彼らにもセンターの利用資格は与えられる のだが、彼らにとってメインのコンピュータ環境と言えば、センターのそれでは なく、学科が固有に管理運用する教育用システムである。 通称「KKI」と呼ばれるこの学科専用のシステムは現在、80台の端末 を備え、コンピュータ・メディア工学科の学生約400人と電子情報工学専攻 の大学院生の一部(約100人)がこれを利用している。

センターの主要システムがそうであるように、コンピュータ・メディア工学科の システムもリース契約 による調達となっており、数年ごとに(従来は主に4年ごとに)リプレイスが 行われる。2001年4月はその4年ぶりのリプレイスの時期にあたったわけだが、 前回のリプレイスからの4年間で、情報教育をめぐる状況は大きく変化した。 インターネットが一般家庭にまで普及し、コンピュータ利用の大衆化は急速 に進んだ。大学における「情報教育」もまた大衆化したと言えるだろう。 1998年に情報処理センターが「総合」情報処理センターになるにあたり、 センターが提供する情報教室の容量は約2倍になっが、教室利用の需要は、 それを上回るペースで増えている。

この様にコンピュータ利用が一般化し、情報教育に占める「センター」の 役割が大きくなる中にあって、情報専門学科の教育用計算機システム はいかにあるべきであろうか。今回のリプレイスを機会として、この問いについて 考えてみることが本稿の目的である。なお、本稿で述べられる意見は筆者の 個人的なものであり、コンピュータ・メディア工学科の方針を述べたものでは ないことをお断りしておく。


教育用計算機システムの歴史

まずは以下の略年表を御覧いただきたい。

コンピュータ・メディア工学科は1998年に設置された新しい学科であるが、 その前身を辿れば、歴史は大変古い。前前身となる「計算機科学科」の設置は 1970年だが、実はこれは日本の国立大学 としては「最初の」情報系学科*1の一つであり、 情報処理センターの設置はその12年後のこととなる。 なお、情報処理センターの前身としては、1965に「山梨大学計算機室」が発足 している。

計算機科学科設置の2年後の1972年に最初の学科用計算機システムが 導入されている。伝え聞くところでは、機種は FACOM230-45S、カード入力による バッチシステムとのことである。もっとも、このシステムの当初の性格、 役割が「純粋に教育用」でなかったであろうことは容易に想像される。研究に おいても貴重な計算機資源として活躍したであろう。そもそも生まれたばかりの 若い学問分野において、「研究」と「教育」の境界はそれほどはっりしなかった かも知れない。

いずれにせよ、この新しい分野を切り開こうとする先人の熱意と努力により、 情報系学科は独自の教育用計算機システムを維持するための予算措置を獲得し、 その措置は後発の情報系学科をも含め、今日まで続いている。

さて、情報処理センターができる前はもちろん、センターが設置されて後も、 極く最近になるまでは、専門学科の教育用計算機システムの存在意義は特に 疑いの余地はないものであったと言える。 下図はここ10数年の山梨大学における教育用計算機システムの変遷と 関連するトピックまとめた年表である。

特徴的な例として、'93年から '95年の期間を見てみよう。この期間における 学科(当時電子情報工学科情報コース)のシステムとセンター (当時情報処理センター)のシステムの違いを表すキーワードを列挙してみると 以下のようになる。

「学科」システム 「センター」システム
ワークステーション パソコン
UNIX DOS, N88Basic
ネットワーク指向 スタンドアロン
マルチユーザ シングルユーザ
マルチタスク シングルタスク
ウインドウシステム キャラクタベースシステム
HDD nfs FDD only (5inch)
... ...

このように学科システムの先進性を表すキーワードは枚挙にいとまがないわけだが、 この時点から10年を経ていない現在、2つのシステムはどう変化 しただろうか。極近い将来の予定まで含めて答えてしまうと、どちらも 以下の2つのキーワードに収斂してしまったと言える。すなわち

の2つである*2 。これらはともに「オープンである」という重要な共通点を持っており、 これらの成功は著者個人として見れば大変喜ばしい。しかしその成功の結果として 学科システムの特徴とか先進性、優位性が褪せてしまったとすると、皮肉にも 寂しい気にさせられる。

情報専門学科が独自のシステムを構築、維持する意味は今後もあるのだろうか? それとも、センターの教室を増やして、専門学科の情報教育も センターのシステムでやってしまえばそれで済むのだろうか?

脚注
  1. このとき同時に4つの情報系学科が設置された。その4つとは
    • 京都大学 工学部 情報工学科
    • 東京工業大学 理学部 情報科学科
    • 電気通信大学 電気通信学部 電子計算機学科
    • 山梨大学 工学部 計算機科学科
    である。

  2. 「センターシステムが "Linux" に収斂した(する)」と言ってしまうと もちろん正確ではないが、センターシステムは "Linux" を大幅に採用しつつ ある。


教育用計算機システムの利用状況

下表は 2000年度におけるコンピュータ・メディア工学科教育用計算機 システムの利用時間割である。

2000年度前期計算機室時間割表

I(08:45-10:15)II(10:30-12:00)III(13:00-14:30) IV(14:45-16:15)
           計算論(G3) アルゴリズムとデータ構造I演習(F2) アルゴリズムとデータ構造I演習(G2)
           計算機アーキテクチャI演習(F2) 情報処理および実習(G1) 情報処理および実習(F1)
                    計算言語学特論(院)  
           記号処理(G3)   
プログラミング及び実習(G3)
         記号処理演習(G3) 情報処理および実習(G1) コンパイラ演習(F3)

2000年度後期計算機室時間割表

I II III IV
メディア工学演習(G3)
システムプログラミング演習 (F2) CGとインタラクション(G2)

コンピュータグラフィックス(G) ソフトウェア開発方法論 (F3) ソフトウェア開発実習 (F3)


アルゴリズムとデータ構造II演習(G2) オペレーティングシステム演習(F3)

微分方程式(F2) 自然言語処理演習(G3) プログラミング入門演習(F1)


ヒューマンインターフェイス(G3) 基礎アルゴリズム及び実習(G1)

コンピュータ・メディア工学科は「コンピュータサイエンスクラス (略称 Fクラス)」と 「メディア工学クラス(略称 Gクラス)」の2つのクラスを編成してクラス ごとに授業を行っている。( )内にはクラスと学年が示してある。 (院)は大学院生向け授業であることを意味する。

情報専門学科として当然であるが、コンピュータを実際に用いた演習、実習は大変 多く、学生は1年生から3年生まで通して週平均 1.5コマ、授業で教育用 計算機システムを利用している。授業で利用する以外には、朝6時から深夜 24時まで自習利用ができる。管理上の問題から24時以降は計算機室は閉鎖 しているが、システム自身は24時間運転しており、ネットワーク経由で遠隔 利用することができる。

授業利用の時間枠充填率はセンター教室のそれと比べても高く、 学生の自習時間もある程度保証することを考えれば、既に限界に近い。今後さらに 実習授業を新設する提案もあり、自習利用のための補助システムを別途導入すべ きであるとの意見もある。この様な現状から言って、情報専門学科が専用の システム(教室)を持つ必要性について、「量的な」観点からは疑いの余地は ないと思われる。コンピュータ・メディア工学科の専門情報教育は1教室を独占 利用してもなお足りないほどの内容を持っている。さて、では「質的な」意味から はどうであろうか。すなわち、学科の専門教育のためにセンター のシステムとは異質なシステムを用意する必要があるのであろうか。

前節「歴史」の最後で述べたように、かつては上の問いに答えることは 簡単だった。単なる「プログラミング演習」を取り上げてみても、FDD ベース のハードウェアに MS-DOS または ROM-BASIC では専門教育の目標は達せられなか った。ましてや、より専門的な科目をや、である。では現在はどうであろうか。 上の時間割表中科目の中から、幾つか特徴的なものをあげてみる。

  1. 自然言語処理 -- Prolog
  2. コンピュータグラフィックス -- OpenGL
  3. 計算機アーキテクチャ I 演習 -- MIPS R2000 シミュレータ
  4. CG とインタラクション -- VRML

各科目で主に用いられる、言語、ツールなどを合わせて示した。 いずれも、センターのシステムの現状そのままでは実施できないかもしれないが、 1.、2.、3. については比較的マイナーな修正、追加によって実施可能だろう。

「CG とインタラクション」は VRML(Virtual Reality Markup Language)を利用して いる点で大変特徴的ある。1997年の学科システムのリプレイスにおいて、この VRML を 含むマルチメディア対応は学科システムの目玉であり、今現在でもこれに 対応する機能はセンターシステムにはない。しかし、2002年のセンターのリプレイス 後においては、この点も重大な差ではなくなるだろう。

結論として、現状の教育内容に留まる限り、質的に学科固有のシステムが なければならない理由は無くなりつつあると言わざるをえない。


新しい情報専門教育の模索と新システム

「学科の独自システムの意義が薄れている」、 「センターシステムと学科システムとの差別化が難しい」という状況は、 単なるシステムの問題を超えて、学科の情報専門教育の中身を考え なおしてみる一つの機会を与えてくれた。筆者は今回のリプレイスにあたって 以下の2つの方向性を考えてみた。

  1. より先端的なコンピュータ利用の追求
  2. 「使う」から「作り、使わせる」の重視へ

1. については例えば VRML に満足せずに Virtual Reality を本格的に採り入れる ことが考えられる。しかし、学部3年生までの教育として、限られた予算内で どんな内容が盛り込めるか難しいところである。

2. については情報専門学科の教育としては「当り前」のことと言える。しかし、 実際問題としては「コンピュータが使える」ことが情報系学科卒業生の ある程度の「売り」になっていた面はある。例えば単にプログラミング経験がある、 Unix オペレーティングシステムに馴染んでいる、などである。 しかし、コンピュータが大衆に拡がって、コンピュータが「使える」ことを売りには 決してできなくなった。コンピュータ・メディア工学科としても「作り、使わせる」 という本来の情報専門教育に真剣に取り組まなくてはならない。

そう考えた上で学科システムの未来像を描いて見ると、当然現状の延長では満足 できなくなる。従来のシステムは最初から安定稼働している状態でそれを「使う」 ためのものだからである。 「作り、使わせる」作業をするとなると、その対象は常に未完成、不安定であり、 それは「使う」ためのシステムとは全く別にせざるを得ない。 もっとも、作るものがユーザアプリケーションであれば共用もできようが、 「作る」の対象は、ハードウェア、オペレーティングシステム、 ネットワークシステム、システムソフトウェアなどにも及ぶのである。

筆者は今春の学科システムリプレイスに向けた仕様策定にあたって、 「使う」から「作る」への転換を提起してみた。しかしながら話はそう簡単には 進まない。なぜならまさに上に述べたように「作る」教育用のシステムと「使う」 教育用のシステムは共用できなのであって、かつ「使う」教育も当然存続しなく てはならないからである。

残念ながら今回のリプレイスにおいて、学科システムを「使う」教育の役割 から解放することはできなかった。最新の技術動向を採り入れてはいるものの コンセプトとしては従来通りのシステムであり、おそらく2002年にセンターシステム が更新されると、2つのシステムは今まで以上に類似することになるであろう。 ただし主システムとはある程度独立に、以下の2点で新しい試みを採り入れてみた。

  1. ネットワーク構築実験用機器と教材
  2. 無線 LAN

1. はまさにネットワークをつくる教育の試み、2. は一般教室にネットワーク 環境を導入して、「使う」教育をより幅広く一般教室で行おうという試みである。 今回無線 LAN は学内4つの教室に導入した。一教室に3つのアクセスポイント を設置し、同時60人のアクセスにも耐えられるようにしてある。

参考までに新システムの概略を以下に示す。


学生用コンピュータとプレゼンテーション用モニタ(中央)
CPU(黒色)は縦置きにし、作業スペースを確保する予定


上から、ギガビットスイッチ群、ファイアウォール、ファイルサーバ(黒色)、 無停電電源装置


教師用コンピュータとプレゼンテーションシステム


無線 LAN アクセスポイント


まとめと展望

本稿ではコンピュータ利用と情報教育の大衆化が急速に進む中で、情報専門学科 が独自の教育用システムを維持、運用することの意義を論じた。結論として、 現在の教育内容をそのまま踏襲するなら、独自システムの存在意義はあまりない。 しかし、情報教育が大衆化すれば当然専門学科の教育も変化しなくては ならない。より先進的なものを求め、実験的、創造的な教育を進めるために、 教育用システムもこれまでとは違った観点で作り上げる必要があろう。

将来的には情報リテラシー教育が初等、中等教育でなされるようになり、 そもそもお膳立ての整った端末が集められた「情報処理教室」というものは 大学からなくなると思われる。そして、キャンパスには情報インフラのみ が求められるようになるだろう。 情報系専門学科であるコンピュータ・メディア工学科は、情報インフラ 整備を先取りし、「脱・情報処理教室」を率先して行うべきで、 今回の無線 LAN 導入はその先鞭となることを狙ったものである。 そして情報処理教室が無くなった後には、「作る」情報教育のための 「情報実験室」が残ることになるのではないだろうか。


参考文献、URL

  1. 伊藤 洋:世界に開かれた大学をめざして
    http://sojo.yamanashi.ac.jp/ipc/itoyo/extension/paper.htm
  2. 吉川 雅修:KKIシステムの変遷
    http://orion.kki.yamanashi.ac.jp/kkihistory.html


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