頭の良さ比べ

それでは以上を理想的読者に対する登場人物たちの頭の良さ優劣比較としてまとめてみましょう。次の表はVulnerability/Invulnerability、透明性/不透明性の基準も加えたものです。左へゆくにしたがって頭がよくなっています。

ワトソンよりホームズの方が頭がよいのは当たり前にしても、ワトソンが読者より劣るというのは自明のことでしょうか?ジャンルが想定する読者(「理想的読者」)を考えるならば、自明です。というのも、ワトソンは読者にカードを隠さないからです。読者はいわばワトソンの肩に乗って、ワトソンの頭越しに出来事を観察することができます。したがって、ワトソンより少し余計に眺望がきくのです。

社会派作品は一種のリアリズムをモットーとしますから、登場する刑事も現実生活をかかえた生身の人間だとされます。したがって試行錯誤を繰り返しますが、最終的には難問を解き明かします。ホームズほどではないにしても犯罪捜査には長けたプロの優秀さを示すわけです。

コロンボは常に完全犯罪と思われた犯罪のからくりを見破りますから、犯人より頭がよいのは当たり前でしょう。それでは表にあるコロンボとマダム・コロンボの比較はどうでしょう。知能検査をやったわけでもないのに、果たして二人の知能を比較できるものでしょうか。もちろん不可能です。ただ、明らかなことはコロンボは決して犯罪者に危害を加えられないが、マダム・コロンボはいつでもねらわれうる(vulnerable)ということです。それは男女の違いのせいではなく、カメラ・ワークの違いのせいです。コロンボはいつも見られる、それゆえ不透明な存在です。カメラ・ワークの主体(感じる眼差し)はあくまでも犯人なのです。観客は冒頭の殺害シーンからはじまって、一番多くの時間を犯人と過ごしますから、犯人についてはその心理にいたるまで多くの情報を得ます。反対にコロンボについての情報は極めて限定されます。彼が何を考え、何を感じているかを知るのは困難です。理想的読者にとってコロンボは神に近い存在となります。

マダム・コロンボの場合はこれと逆です。観客が彼女とともにいて彼女に同一化する(彼女の気持ちになる)からこそサスペンス(ワクワク、ハラハラ)が生じるわけです。探偵の頭の良さの違いというのは読者あるいは観客が探偵といっしょにいる度合い、探偵についての情報量の違いにもよります。コロンボが犯人よりも頭がよいように思えるのは彼が巧みにからくりを見破るからだけではなく、恐らくそれ以上にカメラの前でコロンボが不透明だからです。マダム・コロンボは彼女が夫に比べて透明な分だけ、知的には損することになります。アクロイド事件の犯人が理想的読者よりも頭がよいのは一見透明なようでいて、決定的な情報を読者に隠していたからにすぎません。