付録:ポオと推理小説

ポオには「眼鏡」という短編があります。手短に筋をいえばこうなります。

 語り手「私」は近眼であるにもかかわらず決して眼鏡をかけない伊達男。その私がオペラ座でラランド夫人に一目惚れしてからというもの、彼女に会おうとあらゆる手をつくす。紆余曲折をへながらやっとデートにこぎつけ、さらに結婚まで申し込んだときラランド夫人が明らかにしたのは、彼女が82歳であり、「私」の正真正銘の曾曾祖母だという事実であった。

 これは正に荒唐無稽な笑い話です。これがあのポオの作品なのです。ポオといえば、推理小説の父であり、おどろおどろしい世界を描き、自らも幻想的な狂気を抱えていた作家であったと考えられがちです。暗さと深さがポオという固有名詞にまといついているはずです。その彼がこんな途轍もない話を書いていたなんて俄には信じられないかもしれません。少なくとも「モルグ街の殺人」や「アッシャー家の崩壊」を書いたときのポオとは別人格(あるいは別気分)のポオがものしたのだろうぐらいの判断が妥当なように思われるかもしれません。●しかし、この短編、実によくできているのです。実に笑わせるのです。しかも一番最後に。つまり最後の最後に奇想天外な結末がまっているのです。それまでは克己的なほどの情報制限がおこなわれます。彼女の顔を近くで見る機会はなかなか訪れません。彼女にはなかなか会えません。こうして情報獲得の機会は次々に遅延されます。それと同時に「私」の恋心もつのります。このあたりの展開が実は推理物語に酷似しています。●推理物語の技(アート)は問い<犯人は誰か?>とその答え<犯人は〜である>の二項間をできる限り離す点にあります。時間的ばかりでなく、<本当らしさ>の論理からもです。これこそ「眼鏡」の技そのものではありませんか。これは読む者への効果を計算し尽くした昼のアートと申せましょう。推理小説や怪奇小説を書くポオもやはりこの昼のアートを弄したのではないか。私にはそう思えてなりません。映画では昼に撮影したフィルムを加工処理してあたかも夜撮影したかのようにみせかける技術(これをフランス語では「アメリカの夜」と言います)がありますが、ポオは夜を巧みに演出する実は昼の職人ではなかったのでしょうか。

 さて、今申しましたように推理物語の本質は犯罪に関する情報の隠蔽にあります。その点でも、ポオは落としどころを見事に心得ていました。いかに落としたかを分類してみましょう。犯罪は心身を備えた人間の行為ですから、犯罪についての情報を5W1H式に整理することができます。するとそれぞれの項目について情報隠蔽を巧みにほどこす実験作をポオが残していたことがわかります。

1)誰が(who):意外な人が犯人なのは当たり前ですが、意外な人が実は探偵であったという作品にすでに考察したように「お前が犯人だ」がありました。

2)なぜ(why):意外な人を犯人にするには動機と犯罪との関連性を遠ざけるという手がありますが、そもそも動機そのものを不在にしたら心理的な因果関係を根本から断ち切ることができるのではないでしょうか。動物を犯人にするという「モルグ街の殺人」のアイデアは追随作もうみました。

3)どうやって(How):犯罪の物理的因果性をたどるには凶器の特定と犯人の存在証明が必要です。逆に、推理物語ではその特定を難しくすればよいわけです。「モルグ街の殺人」が密室殺人の元祖であることは知られていますが、「盗まれた手紙」もまた密室犯罪の物語です。

4)何を、誰を(what, whom):「お前が犯人だ」は探偵自体が姿をなかなか現さないという点で斬新なのですが、犯罪を立証するのに欠かせない死体そのものが不在であるという点でも極めて革新的な短編です。

5)いつ(when):探偵も死体も隠蔽されている「お前が犯人だ」では当然のことながら、犯罪の時間も捜査の時間も隠蔽されています。「モルグ街の殺人」「盗まれた手紙」でも捜査の時間は最後まで明かされません。

 

 かくしてポオは巧みなプロット作りを信条としました。そして、その方法論についてもポオは実に自覚的でした。その方法をここでは目的論とよんでおきましょう。目的論は因果論に対立します。つまり、因果論は<原因>→<結果>のつながりを前進運動としてみるわけですが、目的論は反対に<目的>からそれをうるために必要な<効果>に遡行する運動のことです。要するに目的論的プロセスはあべこべプロセスなわけです。犯罪捜査や科学は主に因果論に依拠しますが、犯罪予防や応用科学になりますとむしろ目的論が基本になると考えてよいでしょう。これを探偵物語について考えるならば、読む側は前へ進むので、原因(a)からその結果(b)へと向かうわけですが、書く側はある結果(b)を得るためにそれの原因(a)を予め蒔いておくことになります。書く者は殺人者と同様に予謀するわけです。このことについて、ポオはくり返し書いています。

「およそ、プロットと呼べるほどのものならば、執筆前にその結末まで仕上げられていなければならないのは分かりきったことである。結末を絶えず念頭においてはじめて、個々の挿話や殊に全体の調子を意図の展開に役立たせることにより、プロットに不可欠の一貫性、すなわち因果律を与えることができるのである。」『構成の哲学』

「ぼくは最初にクライマックスを、すなわち結びの問いを頭の中で考えておいた。[..]こんなわけで、この詩(『大鴉』を指す)は終わりから始まったと言っていい(すべての芸術作品はここから始まる)。」『構成の哲学』

「小説を書くものは時々支那人の遣り方を参考するがいい。支那人は、家は屋根の方から先に建てても、書き物をするときは、終りから始めるだけの常識を持ち合わせて居るのである。」『マルジナリア』

ポオが探偵物語の祖となるのはもちろんこうした物語作法についての極めて自覚的な方法論意識と無縁ではありません。探偵小説では後で芽を出させるための種まき(伏線=断片的情報)が重要です。これがうまく蒔かれてはじめて刈り入れ(大団円=断片的情報の統合化)が可能となるわけです。要はジクソーパズルの材料をいかに巧みに作っておくかということです。この点でポオは雑誌連載方式を批判しています。ポオの方法論は結末による物語全体へのコントロールが効きやすい書き下ろし短編に向いているのです。

ところが皮肉にもポオが雑誌連載を余儀なくされた作品があります。それがポオとしては最長の短編『マリー・ロジェの謎』(1843)です。これは「実際に起こった事件にもとづくフィクション」のはしりでもあります。書くにいたった経緯を簡単にみておきましょう。

1841年7月28日、ニューヨーク近郊のホーボーケンで若い女性の惨死体が発見されます。3日前から消息を絶ち、尋ね人広告もでていたメアリー・ロジャーズであることがすぐに判明します。有名なタバコ屋の看板娘である上に、今回の失踪の3年前にも別の失踪事件をおこして騒がれたことも手伝い、メアリー殺害事件はニューヨーク中の関心を集める特異な事件となりました。検死の結果、「ひとりあるいは複数の人間による暴力」によるという判断が下され、はじめは暴力団関係が調査の対象となったのですが、一方で、男といたという目撃情報もあり、単独犯説の方向で誤って逮捕された者もでるという具合に極めて錯綜した展開を示します。一月後、メアリーの遺留品が野原で発見されます。見つけた兄弟の母親ロス夫人はニック・ムーア・ハウスという名の宿屋を経営しており、彼女はまた若い女の恐ろしい悲鳴を聞いたことがあるという新しい情報ももたらしました。いずれにしても決定的な手がかりはつかめず、事件はすでに迷宮入りの様相を帯びはじめていたのです。

19世紀は新聞・雑誌などの大衆メディアがうまれた世紀です。雑誌の編集長を歴任してきたポオ自身も近代メディアの発展のなかで自らのスタイルを編み出し、また、新しいメディアにふさわしいジャンル(探偵、怪奇、ナンセンス)に健筆をふるってきたわけですから、正に近代メディアの申し子といえましょう。その19世紀の大衆メディアの最も好んだテーマが他ならない犯罪実話だったわけですが、ポオが大衆メディアの中で育ちながら探偵小説という新ジャンルを生み出したことと、同じ大衆メディアが犯罪実話を好んだこととは決して無関係ではあり得ないでしょう。『モルグ街の殺人』も夕刊(「ガゼット・デ・トリビュノー」)に載った「異常な殺人事件」の記事から始まりますし、『マリー・ロジェの謎』にいたっては当時メアリー殺害事件について報道された記事のコラージュが基本となります(これこそポオが「ブラックウッド風の記事を書く作法」で言及した方法です)。

というわけで、『モルグ街の殺人』にひきつづきデュパンが再登場することになります。『モルグ街の殺人』で今日いうところの探偵小説という新ジャンルを生み出していたわけですが、文学史ではすでに常識であるこの事実にポオ自身も幾分は気づいていたようです。しかも、「分析的知性」というテキスト内の装置がテキスト外でも(つまり実際の犯罪捜査でも)役立つはずだという『モルグ街の殺人』の愛読者たちの思い入れに答える必要もポオは感じていたようです。そこへ降ってわいたようにメアリー殺害事件が起こります。しかも、事件は迷宮入りしそうな気配です。こうして、舞台をパリに移し、被害者の名前もフランス名に変えて、『マリー・ロジェの謎』の原稿が早くも1842年5月には完成します。正に「分析的知性」を実験室から現実世界に放った快挙(?)と申せましょう。この連載小説の中で、デュパンは推理の結果、3年前の失踪事件のとき一緒にいたとされる海軍将校を犯人と断じるはずでした。

ところが1842年11月18日、迷宮入りに思われた事件が思いがけない展開をみせます。ニック・ムーア・ハウスのロス夫人が事故で死ぬ間際に、驚くべき告白をしたという新聞記事が一斉にでたのです。メアリーが実はロス夫人の宿屋でおこなわれた違法の堕胎手術の犠牲になって死んだというのです。あわてたのは警察当局以上にポオでした。この時点で『マリー・ロジェの謎』の雑誌掲載がすでに始まっていたのですから。2回目はもう手遅れであり、修正できるのは3回目だけです。3回目は予告よりも一月遅れで掲載されました。もちろん、必要な変更を加えて。

古典的探偵の知性は元々ポオ自身が自覚していたように目的論に則った物語構築が生む幻想に他なりません。その虚構の産物を現実の事件に応用しようというのですから、はじめから無理があったのは当たり前です。しかし、こんな失態など、探偵小説という新ジャンルをうんだという歴史的功績やポオの物語方法論の輝きを前にしたら何ほどでもないことは言うまでもありません。