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知の媒介者としての情報メディア館

工学部長 伊藤 洋




英語のinformationを情報と置き換えたのはあまり感心できる翻訳とは言い難い.原語の意味は,inの「取り込み」と,formationの「形作る」を併せて,「取り込むことによって形が変ること」を意味する語の原義があるのに対して,日本語の「情報」にはそれがない.事実,情報処理学では,情報に対して「不確実な事態に対処するために必要となる要素」という定義を下していいる.「情」と「報」にはこの意味は感じられない.

Mediaは,媒介または媒体が日本語訳である.英語のmediaには「中間的な」というニュアンスがある.情報(information)を中間物(media)を介して取り込み合うことで共通(common)の理解に達すること,これがcommunicationである.communicationのために情報を,媒体を通過「trans」させて伝道「mission」させることが必要で,これが通信「transmission」である.

山梨大学情報メディア館が完成した.この施設の意味は,このような原義を全て集めた呼び名であることは言うまでもない.けだし,よい名前である.

20世紀の情報通信技術は,人の感覚を遠方へ突き出すことを専らとしてきた.television,telegraph,telegram,telemeter,telephone,telephotograph,teletype,telescopeなどなど,上げだしたらきりがない.如何に人が自分の五感や機能を拡張したがる動物であるかを雄弁に物語っている.ただ,ここに共通しているのは,これらのtel-eというラテン語の接頭語を冠した言葉で表される装置や技術は,視覚や聴覚など人間の感覚器官の単能的な機能を拡張するものに過ぎなかったということである.

いまや,コンピュータがスタンドアローンに動いている姿は滅多に見なくなった.その殆どがネットワークに繋がれている.そのネットワークは世界大のインターネットでネットワークとネットワークの間をトランスミッションされている.コンピュータが上記のtel-eを接頭語とする装置たちと基本的に違うのは,未熟ではあるが人の頭脳を模しているか,または頭脳になりたいと思っているという点である.つまり,インターネットに接続されたコンピュータは,人の頭脳の世界大の拡張装置「telebrain」であるか,またはその方向に進化するであろうということである.

情報メディア館が,世界の知のmediator,知の世界のtransmitter,communicatorのノードとして,期待される成果を上げられるのであれば,私たち山梨大学の未来は明るい.願わくば,情報メディア館のインターネット接続ルーターの入力パケット数と出力パケット数が等しくなるようにあって欲しい.そのとき,山梨大学の知の水準が世界のレベルに達したことを意味するからである.


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