実際、電子マネーを正確に定義するのは困難であることから、上で一応、電子通貨としての電子マネーについて述べてきたが、ここでまたあらためて、電子マネーとは何かついて深く考察し、今後の社会におけるその普及について注目してみたい。これは、最初の頁の疑問である「現在の1万円札や千円札あるいは100円硬貨は、電子情報化時代になくなってしまうのだろうか」ということに対する私見を述べるものである。いいかえれば、「電子マネーは貨幣であるのか」という本質的な問題について述べることであり、さらに、「もし貨幣であるならば現在の通貨との関係は今後どのようになっていくのだろうか」という問題について述べることである。そのためには、最初にまず貨幣(通貨)について見ていかなければならない。


1.今日の貨幣

 今日、日本の通貨には、日本銀行が発行する銀行券(紙幣)と大蔵省が発行する硬貨(補助貨幣)の現金通貨と要求払い預金である預金通貨がある。
 まず、現金通貨である銀行券と硬貨は、法律によって強制通用力を与えられた法貨
(注2)であり、次のような特徴をもっている。電子マネーには、この電子通貨の長所が生かされ、短所が取り除かれることが重要となる。

現金通貨の長所
 
(1)すべての取引の支払として利用することができるという汎用性
 
(2)支払を行った時点で取引を完了させることができる支払完了性(ファイナリティ)
 
(3)誰が、いつ、どこで、何のために使用したかということがわからないという匿名性
現金通貨の短所
 
(1)大量の現金を整理したり、搬送するためのコストがかかる
 
(2)現金の物理的な摩耗
 
(3)持ち運びの途中に紛失、盗難のリスク
 
(4)破損、焼失のリスク

 一方の預金通貨は、当座預金、普通預金、通知預金、別段預金といった要求払預金をさし、小切手や振替制度を利用することでそれ自体が支払手段として機能するものである。したがって、この預金通貨は、現金通貨のように古い歴史を持つわけではなく、近代銀行制度や手形交換制度の発展とともに登場してきたものである。


2.貨幣の特性  

 一般的に、貨幣は、
(1)支払手段、(2)価値の尺度、(3)価値貯蔵手段の機能を持つとされている。では、電子マネーはこれらの機能を持ちうるだろうか。実際、電子マネーのこのような機能については、あまり論じられることはないが、現在のところ支払手段の機能、特に、小額の決済手段として利用されるものとして関心がもたれている。支払手段としての電子マネーは、すでにモンデックスやeキャッシュに見られるように実際に商品の代金支払、バスの支払いなどとして一部で実現していることをみてもわかる。また、価値の尺度についても、電子マネーには電子情報としての数値が与えられるものであるから、交換する商品の価値を測定する役割を果たすことになる。しかし、貯蔵手段の機能については、無体化の究極な特性のために疑問の余地があるものの、現状から見て少なくとも以上の2つの機能は持っていると考えられる。

 また、岩井克人氏は、インターネット上の貨幣を議論の対象として、(1)価値の表示(2)素材(3)模倣防止を貨幣であるための3要素にあげている。貨幣は、この要素を満たさなければならないというわけである。そして、岩井氏は、2つの方法によってこれら3つの要素を同時に満足させることができるとし、また「eキャッシュ」のシステムを少し変えれば、インターネットでも流通する完全に純粋な貨幣になるという(注3)。したがって、3つの要素を満たす貨幣であるということは、先の3つの機能を備えなければならないのである。建部氏は「これらの機能が満たされているならば、貨幣はどのような形態をとってもよいわけである」と述べているが(注4)、この点については筆者も賛成するところである。現在の通貨でなければならないという理由はないのである。

 ところで、岩井氏の指摘する貨幣の3要素の中でも(2)の素材が電子マネーの本質を考える上で、最も重要で検討されるべき問題となるのであり、岩井氏も、「ここに電子貨幣の根本的な問題(すなわち電子貨幣の素材が数字だという問題)がある」と述べている(注5)
 そこでさらに、貨幣の本質を理解する上で、貨幣の歴史を振り返ってみると、決済手段や決済方法は決して固定されたものではないことがわかる。決済手段としての貨幣は、長い間にいろいろな形態をとってきており、古くは、今日では貨幣としては認められない貝や布や家畜などが使われていたし、その後は金や銀がもちいられ、さらには地金を鋳造加工し、一定の形に刻印や額面をしるしたもの、そしてまた紙、預金が用いられるようになった。このように、貨幣は大きく分けると物品貨幣、鋳造貨幣、信用貨幣へと変遷をたどってきた。

 経済に貨幣が登場したことはパラダイムの転換ともいうべき大きな事実ではあるが、こうした貨幣の素材の変遷過程においてもパラダイムの転換がもたらされてきのである。また、兌換紙幣から管理通貨制度のもとにおける信用貨幣としての不換紙幣への移行もパラダイム転換といえるものであったし、そして、今日の電子マネーへの移行は「第三の波」としてのパラダイムの転換であると考えられるのである。
 
3.電子マネーの特性

 上に述べたように、貨幣は、明らかに素材を変化させてきた。しかし、電子マネーの場合は、物理的貨幣形態内における貨幣の変化とは違って、物理的貨幣形態から電子的貨幣形態への移行であるという点にパラダイム的転換を見いださねばならないのである。この貨幣の歴史的発展過程は、まさに「貨幣の抽象化、無体化」の過程でもある。すなわち、貨幣の額面価額と素材価値(商品価値)の乖離の進展したその究極にあるものが電子マネーであると言うことができるかもしれない。

 ここでいくつかの電子マネーに関する定義をながめてみると、それは「デジタル情報」もっとかんたんにいえば「情報」であるということになる。たとえば、電子マネー及び電子決済に関する懇談会は、電子マネーを「「決済手段の電子化」の仕組みにおいて貨幣価値を有するものとされるデジタル・データを意味するものとして用いる」としている。また、須田美矢子氏は「電子マネーとは簡単にいうと、デジタル化した(データを0と1の組み合わせで表した)情報に貨幣の機能をそなえたものである」
(注6)とし、ECOM版EC関連用語解説集は、「現実に流通している貨幣価値に裏付けられた電子的な価値情報であって、支払の手段として利用しうるもの」としている。ただし、こうした「情報」という視点からのとらえ方には金属貨幣説や貨幣商品説によると、異論はでるかもしれない。しかし、貨幣の発展形態や今日の貨幣あるいは究極的な貨幣としての電子マネーを見る限りは、この「情報」という点にその本質を見ることが重要であると考えるのである。

 物的形態の貨幣の場合は、価値情報を表象する媒体が、ある価値と切り離せない存在であった。すなわち、1万円の紙幣は、紙に1万円という情報を表象したものであって、紙と1万円の情報は切り離せなせずに一体となっている。しかし、電子情報はそれを表象する媒体が存在しない。すなわち、素材がないのである。貨幣は、漸次に実物を離れて、象徴的なものに転化する(貨幣の無体化・抽象化)傾向があるが、電子マネーは、まさにその極地にある。

 ところでICカード型電子マネーの場合には、カードに情報が組み込まれているので、紙幣のようにカードを持ち運びして支払をすることができる。そこでおそらく、「それは媒体としての物的形態を取るのではないか、あるいは素材をもつのではないか」という疑問が生じるかもしれない。しかし、
モンデックスのような価値再充填可能なICカード、あるいは再充填不能のプリペイド型カードでさえも、紙幣のように情報とカードとが非分離一体型とはなっていないことに注意しなければならない。モンデックスの価値情報は、カード(素材)に固定されるのではなく、そこを通過するのである。また、その価値情報は、カード上に表示されていないので、一目で表示価値を確認することができない。ネットワーク型電子通貨も同様であり、一層その特徴が顕著となる。こうして貨幣はより一層情報の性質をあらわにし、もはやたんなる「記号」や「象徴」とは異なるものであるということができるのである。 

 今日の貨幣は、素材そのものは、何ら商品価値をもたないにもかかわらず、ある価値をもったものとして通用している。確かに素材の商品価値とは遊離した信用貨幣として人々に利用されている。これが貨幣の不思議なところであるが、同様の疑問は電子通貨にもあてはまるのである。こうした問題は、名目貨幣説と商品貨幣説として議論されてきたところでもあるが、ここでは特に詳しく触れずに、貨幣の名目主義の立場になるかもしれないが、一般受容性と利用者の利便性について述べておきたい。

 貨幣あるいは通貨の大きな特徴は、人々が自分の財・サービスを相手に提供して、逆に相手から通貨を受けとるという行為を抵抗なく行う点にある。それは、通貨に対する人々の信任、信頼が基盤となっているのである。何ゆえ通貨が信任されるのか。それは、ほかの第三者が同様に貨幣の財・サービスの対価として、拒まずにいつでも受け取りを行うということが社会的に存在するといった一般受容性にある。さらに、通貨は、物々交換経済と比較すればわかるとおり、財・サービスの流通を円滑にするという利点をもったように、利用者にとって時間的・空間的なギャップを埋め、コストを低減させるといった大きな利便性をもたらし、そしてまた、経済の効率性の向上と経済の拡大にも大きく貢献してきたのである。決済手段や決済方法は時代や国の習慣・歴史的背景を反映しつつ、利用者に受容され定着してきたものなのである。

 しかし、ここでもう一度確認すべきことは、電子マネーは紙幣とは違って実物的な素材が存在しないということである。したがって、ここで問題は、物的な媒体から分離される目に見えない情報そのものを貨幣あるいは通貨と見なしうるかという点にある。もし、通貨であるのならば、それは「究極の貨幣」
(注7)といわれる所以である。以上で述べてきたように、筆者は、貨幣の本質を情報としてとらえるので、電子マネーがもつ諸課題が解決されて一般受容性を備えれることになれば「究極の貨幣」となるものと考える次第である。


4.電子マネーの今後の課題と展望

 では、電子通貨は一般受容性を獲得しうるのだろうか。結論を述べれば、究極的には、クレジットカードやプリペイドカードあるいは給料振込やATMが人々に受容されたように、将来的に一般受容性を得るであろう。しかし、それは段階的に進展するといわなければならない。

 しかし、電子マネーが一般受容性を得るとしても、現在の通貨に完全に置き換わるかという問題に関しては見解が別れるところである。 

 ひとつは、既存の「一次通貨」としての現金通貨、預金通貨に電子マネーは置き換わるものではないというものである
(注8)。それは、電子マネーはあくまで「一次通貨」を補助する「二次通貨」の地位にあるとするものである。もう一方は、究極的な段階では電子マネーが一次通貨となるであろうというものである。電子マネーが「一次的通貨」になりうるかどうかがここで最も関心のある点である。

 広義の電子マネーの概念は、今日のクローズドな銀行オンラインシステムにおける電子的な資金の移動(EFT)を含んでいる。銀行オンラインシステムの電子マネーは主に、今日話題となっている電子マネーとは違って、大口決済として利用されている。かつては、銀行ごとあるいは支店ごとの原始的な帳簿によって現金通貨や預金通貨が管理され、現金の輸送を行っていたが、それも現在は電子帳簿によって一元的にコンピュータによって管理されるようになった。

 今日注目されている主に小口決済のための電子通貨は、まだ現金通貨や預金通貨が支配的な段階においては、補助的にしか使用されない。いや、現段階では、補助的役割すら持っていないと言わなければならない。したがって、この段階では、それほど大きな問題も生じないであろう。

 しかし、今後はしだいに電子マネーが預金通貨や現金通貨に置き換わっていくと予測することはそれほど流れを見誤っていないのではないかと思う。となると、金融政策上の問題などさまざまな問題が深刻化する可能性がある。
 われわれは、そうしたいろいろな問題を解決していかなければならないだろう。電子通貨の今後の社会的な普及は、技術の問題とともに、電子通貨を利用する者にとってそれがどのような影響あるいは結果をもたらすかに依存しているのであり、今後の課題は、技術的側面よりも検討が遅れていると思われる技術以外の側面にあるといえる。それは、法的整備をはじめとして従来の決済システムと比較して電子決済あるいは電子通貨がどのような便益
(注9)をもたらしうるのかという経済的分析、国際的な相互関連性などの社会科学的分析の必要性を意味するものである。なお、技術的側面とそれ以外の側面は、厳密に独立しているわけではなく、相互に関連性を有していることにも留意しておかなければならない。
 これらの課題をまとめてみると、次の表のようになる。縦軸としては技術、制度、主体があり、横軸には安全性、利便性、経済性、国際性がある。すなわち、横軸の各問題にたいして縦軸がどのように対応していくかとして課題をとらえていく必要がある。

 

安全性

経済性・効率性

利便性

国際性

 

技術

       

制度

       

主体

       

 電子通貨には現在多くの問題が課せられているが、電子情報技術の発達や制度の整備がすすむことによってインフラ基盤が整っていき、電子通貨が徐々に現金の使用に取って代わっていく可能性が大きい。わたしたちは、慎重さの中にも革新的なものに対して評価する態度が必要である。特にパラダイムの転換をもたらすものほど革新性は高く、それだけに不安へのインパクトも大きいが、リスクの低減、利便性の向上などが徐々に信任されていけば、電子通貨が究極の通貨として現実に利用されることになるというのも非現実的な空想ではなくなるといえよう。
 まさに有形なものは無形なものによって動かされることになるのである。

現状では、諸制度や人々の考え方は依然として従来の紙や物をベースとしており、電子情報空間がまだ身近なものとなっていないのが現実である。電子情報化によって開かれる新たな世界が健全に発展し、われわれの生活がより豊かになっていくためにも、従来の慣行や諸制度との違いを明確に認識し、混乱を招かない新たな仕組みやルールの整備などを前向きに行う必要があるのである。現時点でそうした整備を完全に行うことは確かに難しいが、電子情報化は確実に進んでおり電子情報化の流れは不可避であるから、わたしたちは、現在進行している情報化の実体をとらえ、実証実験を推進していく過程で可能なかぎり予測されうる問題を整理していくことが必要である。今後、オープンな社会システムの形成とそれへの対応が一層重要となるであろう。