§1 デジカメと《自己という他者》


 最近、ようやく手に入れたデジタル・カメラ通称デジカメを、いろいろ試して遊んでいる。
 居間のファン・ヒーターの前で気持ちよさそうに寝ているわが家の番犬や、あっという間に20数年共に過ごしてしまったわが妻などが、さしずめ生きた犠牲者となってしまったが、さらに鉢植えの花、蓋のついた小鉢、雑誌の表紙など、とりあえず見えるものは何でも撮してみた。
 漠然と室内を撮してもつまらないので、とうとう自分の姿をセルフタイマーを使って撮し込むようになった。風景の一部、というつもりで。だがこれがまったく意外な体験をもたらす結果となる。

 人はひとりカメラの前でどのような顔つきをすればよいのであろうか。

レンズに対して面と面とを向き合わせることは、鏡面に顔を向けることとはまったく違うのだと悟ったのは、1枚目を撮り終えたあとのことだった。わたしは毎朝髭を剃ったり顔を洗ったりしながら、自分の面貌をいつも見つめている。体調が良ければ肌もつややかで、風邪をひけば肌がかさかさしてくるし、深酒をして寝不足なら目は充血し顔全体がはれぼったくなってくる。自分では自分の顔を一番良く知っていると思っていた。しかしわたしの知悉していた面貌は、日々眺める鏡とのなれ合いでつくられた鏡像に過ぎないことを、デジカメの捉えた《わたし》の顔がつくづくと教えてくれた。
 デジカメの写真には、写し手をどのように意識すればよいのか判断が付かないままレンズに向き合っている、そして鏡のように自分のイメージを再現してくれる信頼ももてず、かといって機械に全面的に身をゆだねる自信もない、自ら相貌を決めかねている戸惑いと不安と緊張の表情が写されている。
 考えてみれば、人はおのれの顔を永遠に見ることはできないのではあるまいか。

 写真があると言われるかもしれない。だが、写真に写されているものは、絶対に停止することのない持続する生を勝手に止めた虚構の空間、光と影の戯れ、せいぜい言って過ぎ去った時間や体験を呼び起こす記号に過ぎない。
 他人の写真を見るとき、人は写真の像と自分が覚えているその人の現実のイメージとをつき合わせて、その類似と相違を鑑賞する。ある時は同じイメージを見いだして満足し、ある時は意外なイメージに驚きながらも、意識裡に秘められていたその人のイメージに気づかさられて納得する。つまり写真は他者という現実を認識する媒体であり、自分と他者とのもう一つの関係だと言える。
 もし写真に写っている人間と出会ったことがなければ、現実と像とをつき合わせることはできないので、写っていることをその人の実在の証拠を見なして、《像》と《仮定された実在》とを比較するしかない。それは言葉の本来の意味で《想像》と言い得るだろう。
 さきにセルフポートレートを見て驚いたと述べたが、このときの体験をわたしはこう分析してみた。
 つまりポートレートの写像を見たとき、無意識のうちにわたしは、わたしが知っている唯一の自分の相貌との出会いである鏡の写像を記憶から呼び出して、写像と比較する。デジカメの捉えた自分と鏡の中の自分がひどく違っていることに驚き、その結果、他の人に撮ってもらった写真の中のわたしは、撮り手の眼とレンズを通して現れたわたしであり、一方、鏡の中のわたしはわたしがわたしに向かってつくったイメージでることに気づいた。
 写真とはカメラと被写体の間に成立する関係の産物である。

 わたしはたとえば、父の構えたカメラに対しては子の顔となり、妻に対しては夫の顔となり、子供にレンズを向ければ今度は親となり、教え子とならべば教師の顔となり、あまりつきあいのない人に対してはやや緊張した面もちとなる。また長年いくつかの決まったパターンで撮られれば、そのたびごとに自動的にその場にふさわしい相貌をとるようになってくる。鏡に対しても同様の関係が成立し、鏡の中の顔を見て少し修正を加えた表情を送り、鏡から帰ってきた像を見てまた修正の表情を送り、それを何年も(もちろん無意識で)繰り返しているうちにある種の固定したわたしの像が生まれる、という次第である。  デジカメのセルフポートレートは、写す側と被写体であるわたしとの間の共同作業、あるいは共謀関係を破壊し、写真や鏡を通して承知していたわたしの像が虚像にすぎないことを教えてくれた。もっとも一度撮られてその写り方が分かったあとは、再びわたしはデジカメと共謀関係を結ぶようになり、他の人から撮られる場合と同様に(デジカメとの)関係が新たなイメージを生み出すようになったけれども。
 しかし、いずれにせよこのようにしてわたしは、これまで一度も出会ったことがないのにとっくに知っている気になっていた、《自分という他者》が"ある"いや"いる"ことを知るようになる。


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