1983年に郵政省が地域社会の高度情報化を唱った「テレトピア計画」を提示
したのを画期として、多くの地方自治体が情報・通信装置の新規導入を加速度的に
進めてきた。その具体的な事業は、機構内の情報処理のオンライン化と、住民各戸
へのケーブルテレビ回線の設置である。ただし現時点では、この傾向は未だ地方自
治体が電機産業の商品消費市場として開発されたに過ぎず、地方自治体自体が情報
化されたとまで評価することは難しい。けれども、この傾向を単に産業経済の次元
ではなく社会変動の次元で把握するならば、そこには地域社会の再構造化ともいう
べき事態が起動しつつあることが理解される。それは、ありとあらゆる事物を表記
=計量可能な電子情報空間上の存在に置換していくこと、換言すれば電子情報空間
上に、私たちの生活世界と一定の対応を保ちつつも独立した、すべて表記=計量可
能な情報世界を構築していくことである。この世界においては原理的に「交通」を
遮断することができない。また表記されないもの、計量不可能なものはこの世界に
は存在し得ない。生活世界における内的自然(情緒や性愛などの感情領域、あるい
は全き自明性に支えられた慣行)に相当する領域が存在しないのである。一方すべ
ての交通は目的合理的にのみ遂行される。いわば、社会学者M.ウェーバーが理解
社会学という彼の方法論上仮定した意味世界をそのまま具体化したとでも形容すべ
き世界なのである(ウェーバー自身はそうした意味世界の「理念型」的な具体化と
して株式取引所や商品取引所を挙げている。同著『取引所』邦訳1968年,未来
社刊、参照)。このような世界の存立を可能にする物的・制度的な配置を、この間
地方自治体は構築してきたわけである。
問題は、この世界が市場原理によってではなく行政の公共性の論理によって構築
されることの意味である。極端な事例ではあるが、ある新築された単身高齢者向け
の公営住宅には居住者の生存を確認するための下水道の流量通報装置が作りつけら
れているという。ガスコンロ1つ満足に使えない居住者の生死が、電子情報空間に
表記=計量可能化され自治体に監視される。つまり行政は、かつて公共事業が村落
に商品消費を持ち込むことで最辺境の村落の家々までもその自律性=閉鎖性を解体
したように、市場原理が到達し得ない領域にまで計量化され交通に開かれた情報世
界を拡張しつつある。私たちの、消費者ではなく市民としての存在と権利が、電子
情報空間上の存在に置換されつつあるのである。
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