§3《光を写す》と《影を撮る》
さきにデジカメで撮影したあとの安堵感について述べた。これはただ単に写真の写り具合が確認できるためだけではなかった。カメラの背面にあるモニターにくっきりと写るイメージを見ると、まるで対象物を丸ごと取り込んだような気になってしまうのである。
カメラを使って被写体を撮ることは、ものを収集することと似てはいないだろうか。
「撮影」は見てのとおり「撮」と「影」という2字より成り立っている。「撮」は「指でつまむ。集める」ことなどを意味する。注)2「影」は語義が多いので関係ありそうななものをひろうと、
(1)光を遮ったときにものの背後にできる黒い形
(2)光、灯火
(3)水面や鏡に映るそのものの姿
(4)姿、そのものの形
(5)心に浮かぶ姿。おもかげ
(6)本体そのものでないこと。身代わり
(7)かすかな形だけで実体のないもの
(8)魂
(9)本体に似せて作ったもの、などがある。注)3
つまり、影は光によってできる本体の形や反映や似姿の意味が多く、もの本体ではなくそのイメージと定義して差し支えないだろう。したがって、「撮影」とは対象そのものではなく、そのイメージを捉えることを意味すると考えられる。
一方、「写真」という日本語は、1788年に玄沢大槻が著書『蘭説弁惑』の下巻『磐水夜話』の中でラテン語の"camera obscura"の訳語として使ったのが始まりとされる。
このカメラ・オブスキュラは、近代写真の始まりである1839年のジロー・ダゲレオタイプのカメラの発売よりもずっと以前の紀元前から、人類が自然の似姿を取り込もうと試みた事実を示す装置である。注)4
すなわち、暗くした部屋の屋根や壁などに小穴をあけて、その反対側の白い壁や幕に、戸外の実像を逆さまに写し出すもので、アリストテレスも紀元前4世紀頃この原理を使って戸外の景観を観察したと言われる。ルネッサンスの芸術家レオナルド・ダ・ビンチも遠近法の実験にこれを利用している。やがて、小穴にレンズをつけたり絞りの調節などの試みがなされ、絵を描くときの補助具として使われるようになる。
暗い部屋はテントそして小箱に変わり、レンズや絞りで写し出された像を定着する実験が繰り返されて、1839年パリ・アカデミーでフランスのダゲールが発表した銀メッキした銅板上に可視像をつくるダゲレオタイプの写真が完成し、近代写真の基礎が築かれた。注)5
英語の"photography"は、イギリスの天文学者ジョン・ハーシェル卿 (Sir John Hershel) による造語で、ギリシャ語で「光」を表す"photo"と、「…を書く[描く、記録する]器具;…を書いたもの[絵、図]」を表す"graph"を組み合わせて「光で描く[描いたもの]」を意味している。注)6
だがこれは写真の光学的および化学的プロセスに忠実な技術的命名であって、カメラ・オブスキュラの意図である自然の反映、自然の模写、すなわちミメーシスの意味が完全に欠落してしまっている。暗い部屋に入り、小穴を通った光が壁面に描く自然の姿を見た古代人は、あたかも自然を取り込んだような気になったことだろう。外に出て自然を直接見ることとカメラ・オブスキュラの内部の像を見ることの決定的な違いは、後者は立体物の平面図であってじかに見るよりも事物のありようを明確に認識できることである。
われわれはつねに知覚を通して周囲の世界を分節化し、同時に自己を世界から分節化されながら生きている。われわれは外部を見ると同時に外部から見られるのであり、外部から見られるという意識が自己を分節化するのである。注)7そこにはふつう考えられているように、自己と他者あるいは世界との明確な区分はない。自己であると同時に世界の一部でもある。この連鎖から解放されることはほとんど不可能である。
しかしカメラ・オブスキュラに入って外部の像を見るとき、その人は眼そのものとなり、反射像に対して見る主体という位置を保つことができる、少なくとも意識の上ではそう信じることはできる。
技術的な側面から見れば、写真術は光によって現れた世界を光を使って取り込みそのイメージを創り出すプロセスであり、それゆえ光の芸術と言える。しかしダゲレオ・タイプのカメラから最新のデジタル・カメラにいたるまで、古代にカメラ・オブスキュラを考案した人類の願望、すなわち自然の模倣とその似姿の所有への意志はあくまでも連ぬかれているというべきだろう。デジカメのメモリーに蓄えられて画像をひとつひとつ見ながら、わたしはそれを強く実感する。
そう考えると、本体そのものではなく、その水面の姿、おもかげ、身代わり、似姿である《影》をつかむという日本語《撮影》は英語の"take a picture", "photograph"など「写真を撮る」という表現に比べてはるかにことの本質を表していると言える。
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