§5 結び、《複製時代》と《サイバースペース》

 写真と絵画の決定的な相違は、写真は原則として同じものをいくらでも複製できることである。基本的に絵画のように本物と偽物、本物と複製という価値のヒエラルキーは存在しない。

 ヴァルター・ベンヤミンは「複製技術の時代における芸術作品」の中で、印刷や写真といった新時代の技術が、「今」「ここに」しかないという 芸術作品特有の1回性の意味を失わせたと指摘する。古くからある手工的複製に比べて、写真などの技術的複製はほんものに対して高度な独立性を保っているという。 注)10

 ベンヤミンの示唆したように現代では複製自体が本物とは別個に意味と価値をもち、一人歩きをし始めている。デジタル・カメラに象徴される現代のテクノロジーは、CD、ビデオ、コンピューター・ソフト、書籍、コピーなど最初からオリジナルにはほとんど価値がなくて、大量の複製を前提とした文化を形成しつつある。

 こうした音楽・映画・出版・通信・コンピューターなどの産業そしてマスメディアがコピー(複製)文化を形成・促進しているだけでなく、われわれ自身も他者や世界と直接接するよりも、音や文字や画像などそのコピーを通して、いやコピーそのものを対象として世界を分節化し始めている。

 いまでは、顔と顔とをつき合わせて話すよりも、携帯電話やポケベルを使った方が心が通じ合う若者や、パソコン通信、インターネットなどのネット上で電子メールを交わす方が自己の意見や感性や愛情などをより真実に表現できると考える人が増えていることは、それを裏付けている。

 電話の声、ポケベルのメッセージ、パソコン・モニター上の文字、デジカメの画像、ビデオ映像などは本物の複製であるどころか、複製そのものがもう一つの本物となる可能性を示している。そしてこれらの複製はいずれもインターネットで自由にやりとりできるデータでもある。そう考えるとインターネットの創り出す世界、サイバースペースは世界の複製《擬似的世界》であるのではなく、世界そのものだと言える。

このようなサイバースペースの意味を正しく理解した人が、21世紀のテクノロジーとポリティクスを征するのではないか、とわたしは考える。


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