特許を重視したリンカーン

1776年にイギリスから独立したアメリカは、1790年に特許法を制定し、建国の当初から特許制度によって産業を振興する施策をすすめました。
奴隷開放戦争として知られる南北戦争は、工業圏の北部と農業圏の南部の経済戦争とも言われ、1865年の北軍勝利によってアメリカの工業化に弾みがつきました。 南北戦争当時に大統領であったリンカーンは、自らが特許を取得するほど特許奨励による産業振興に力を入れたので、アメリカは19世紀半ばには特許の登録件数で世界一に躍り出ました。

「特許制度は天才の熱情という炎に利益と言う油を注いだ」というリンカーンの言葉が、米国商務省の玄関脇に今も掲げられています。

その後、19世紀末から今世紀初頭にかけて発明王として有名なエジソンの白熱電球や蓄音機、ベルの電話機、ライト兄弟の飛行機やGEの研究者達によるラジオなど現代の産業技術の基礎となる発明が相次ぎ、これらの新技術がアメリカを世界最大の工業国に押し上げる原動力となったのです。
近代の特許制度は、新しい発明に権利を与え、発明者を保護することで発明意欲をかきたてます。そして、その発明により産業・経済の発展が促されるので、発明者と国民の双方に利益をもたらす画期的な制度と言われています。


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