その後のアメリカ経済は「黄金の50、60年代」を謳歌しました。ところが、1970年から80年代にかけてアメリカ経済はかげりを見せはじめ、貿易赤字と財政赤字の「双子の赤字」に陥りました。
さらに、経済のソフト化、サービス化の急速な進展と、市場の国際化が進み、企業の多国籍化による国内製造業の空洞化が問題となりました。
しかし、アメリカは最先端の技術であるソフトウェア開発や宇宙開発などに関しては世界でも群を抜いていました。そこで、1981年に発足したレーガン政権は「アメリカの科学技術こそが、産業の国際競争力を高め、技術的優位性を維持することを可能にできる」との考えから、
科学技術の成果である特許や著作権という知的財産権を保護強化する政策を示しました。
そして、特許法や著作権法以外にもソフトウェア、半導体回路配置、トレードシークレットなどの知的財産権に関連する法律を整備し、特許登録までの期間を短縮するため特許審査官の倍増や特許専門の裁判所を設立したりするなど、
行政と司法の両面で知的財産権の強化策を実行したのです。